
我が家は、戦後間もない祖父の代から松原神社の前で法人として蕎麦屋を営んでました。毎年年末にはNHKが大晦日の風物詩として取材に来る、地元では結構な繁昌店でした。
父の代で大きな環境変化がありました。料理の腕に自信はあっても外で働いたことがなく、どちらかというと経営に疎かった父は、⻑男である私に相談をしました。「なぁ、どうしたらいいやろうか…」
私は、大学の商学部を卒業してはいたものの普通にサラリーマンをしていたので、「そんなん知らんよ」と答えました。当事者意識もなく素っ気なかったと思います。父は「そうや…」と言ってそれから店のことは話さなくなりました。
程なくして父は病に倒れ、それを契機に店は閉店し会社も倒産しました。店に通ってくださっていたお客さまや従業員、仕入れ先、銀行その他の借入先などに大変な迷惑をかけました。中でも家族の辛さはひとしおだったと記憶しています。あれから随分立ちましたが、この経験はずっと私のノドの奥に刺さったままの小骨のようでした。
時は流れて、新型コロナウィルスが蔓延した時、飲食店や小売店が次々とシャッターを降ろすのを見て、実家の閉まったシャッターと閉店の貼り紙を思い出しました。「私には何ができるだろう…」と自問自答した結果、「あの時父にできなかった助言をすることが私の人生の課題である」と思うに至りました。「知らなかった経営のことをしっかり学んで、今困っている経営者の役に立とう」と考え、コンサルタント唯一の国家資格にチャレンジをしました。これが私が中小企業診断士になった理由です。
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